院長体験談
院長である深澤先生の体験談をご紹介していきます。
治療家の道へ
1950年静岡県に生まれました。幼い頃から走ることが好きで自然の中を走り回って遊んでいました。
中学生から陸上を始めましたが、高校生の時に腰を痛めその時に整体や鍼灸の施術を初めて受けました。

高校卒業と同時に地元企業へ就職するも、治療の世界への興味をどうしても捨てきることができず、23歳の時に上京し指圧学校へ入学しました。
学校に通いながら整形外科で勤務し、そこでカイロプラクティック、オステオパシー、構造医学などを学びました。それだけでは足りないと感じ、25歳の時に鍼灸学校へ入学して鍼灸資格を取得しました。
開業
1977年、27歳の時に深澤治療室を開院しました。
整体・鍼灸・指圧を軸に、当時はカイロプラクティックの手技を用いて体をバキバキと鳴らす刺激の強い整体を行っていました。


29歳の時、カイロプラクティックセミナーを受講していた際、口内に手を入れて行う手技で右の蝶形骨大翼をグッと上げられました。
その瞬間、すべての頭の骨がカチャカチャカチャと音を立てて狂っていくような感覚がありました。
立ち上がろうとするとその場で失神してしまい、その日を境に、動悸、息切れ、不眠症、パニック発作、不安神経症、自律神経失調症状等、様々な症状が出るようになってしまいました。
廃人状態
その後、手かざし療法や気功治療で症状は一時緩和し、31歳の時に結婚しました。
しかし、すべての症状が完全に消えた訳ではなく、不調を感じながら毎日を過ごしていました。
より良い施術を求めて全国の施術を受けて回っていましたが、36歳の時に受けた施術で人生が一変してしまいました。
トムソンテーブルで右の第一頸椎に強い矯正を加えられ、頭の中の骨がミリッ!と音を立てて完全にずれてしまうような感覚がありました。
(この感覚は誰に説明しても到底理解してもらえず、当時は変人扱いをされました。頸椎への強い矯正が原因で蝶形骨がずれてしまったのだと今では理解できます)
その影響で、それまでの症状がさらに悪化してしまう事態となってしまいました。
動けない、歩けない、立っていられない、座ってもいられない、眠ることもできず、廃人同様の体になってしまいました。
眼球が飛び出しそうになる程の強烈な痛み、目玉の奥のどうしようもない痛みを今でも鮮明に覚えています。また、赤信号の道路に自ら飛び込みそうになったり、生まれたばかりの我が子をマンションの上から放り出しそうになったりしてしまう等の異常な衝動に駆られ、感情のコントロールや心身の制御までもができなくなってしまう状態になってしまいました。
病院を何軒も回りましたがどこにも異常は見当たらず、西洋医学においては全くの原因不明でした。
3人の幼い子供たちをこれからどうやって育てていけばいいのかと途方に暮れ、地獄のような毎日でした。
回復、そして反省
とても仕事ができる状態ではなく、37歳の時に実家の静岡に約1年間帰省をしました。内観や読経や養生等を行うことで徐々に体が回復し始めていきました。
その過程で、頭の骨がグツッ、グツッと音を立てて少しずつ動き出していくような感覚があり、「あ、これで治るかもしれない」と感じたのを覚えています。
そして、そこからさらに時間はかかりましたが、また仕事を再開することができるような状態にまで回復することができました。
自身の体験を通じ、それまで自分が行ってきたバキバキする整体や刺激の強い施術は間違った手法だったのだと猛反省しました。
そして、「どのようにしたらよりソフトな施術で結果を出すことができるのか」と、日々研鑽を重ねていきました。


閃き
そのような中、ある日ふと閃いたことがきっかけで頭蓋骨へのアプローチ方法を思いつきました。
(今にして思えば本当に不思議な出来事としか言いようがありませんが、直感的に頭の中にアイデアが思い浮かびました)
そして、そのアイデアを実際の施術に取り入れてみると、それまでは得られなかった施術効果がどんどんと挙がるようになりました。
自身が学んできた技術、そして自身の経験とがすべて融合し、新たな手法が生み出された瞬間でした。
このようにして現在の施術スタイルの軸となっている深澤式頭蓋仙骨療法が完成しました。


おかげさまで
スタッフの支え、家族の支えがあり、おかげさまで開院49年を迎えることができました。
少しでも多くの方々がこの文章に辿り着き、誤った施術による事故が減ることを願っております。
また、自分とご縁のついた方々が少しでも回復しお元気になることを日々祈っております。
